京都地方裁判所 平成2年(行ウ)26号 判決 1991年11月13日
原告
株式会社文英堂
右代表者代表取締役
益井欽一
右訴訟代理人弁護士
渡辺修
同
伊藤昌毅
同
竹林節治
同
畑守人
同
中川克己
同
福島正
同
松下守男
被告
京都府地方労働委員会
右代表者会長
谷口安平
右指定代理人
前堀克彦
同
安枝英訷
同
宮本照夫
同
黒川和子
被告参加人
文英堂労働組合京都支部
右代表者支部委員長
吉田明生
右訴訟代理人弁護士
稲村五男
同
荒川英幸
同
浅野則明
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告が京労委昭和六二年(不)第一七号第四文英堂不当労働行為救済申立事件について平成二年九月五日付けでなした救済命令を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告は、参加人を申立人とし、原告を被申立人とする京労委昭和六二年(不)第一七号第四文英堂不当労働行為救済申立事件について、平成二年九月五日付けで別紙のとおりの救済命令主文(以下「本件命令」という。)を発し、同命令は同日原告に告知された。
2 しかしながら、本件命令は、事実認定及び法律判断に誤りがあり、違法であるから、その取消を求める。
二 請求原因に対する認否と抗弁
(認否)
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の主張は争う。
(抗弁―本件命令の適法性)
1 本件労働争議に至る経緯について
(一) 原告は教育図書の出版を主たる業務とする株式会社である。京都本社の従業員は、昭和四一年八月京都印刷出版産業労働組合文英堂分会を結成したが、昭和五六年一〇月右京都印刷業労働組合を脱退し新たに京都文英堂労働組合を結成した。一方東京支社の従業員は、昭和四一年一二月出版労連文英堂労働組合を結成した。
(二) 原告は、昭和五六年九月二八日京都文英堂労働組合に対し、新賃金体系の原案を提示した。
京都文英堂労働組合は、昭和五七年一〇月、出版労連文英堂労働組合と組織統一して文英堂労働組合(参加人は右組合京都支部である。)を結成したが、右新賃金体系が職能給を導入するものであったため、これに反対した。
(三) 原告は、同年一二月九日、団交ルールの設定等を求めて被告に対しあっせんを申請したところ、被告は昭和五八年一月三一日、原告の代表者と組合執行部が団交ルールに関しよく話し合うよう口頭で勧告した。
(四) 原告は、昭和六〇年三月二八日参加人の春闘賃上げ要求に対し、新賃金体系を適用したいとして、それに基づき賃上げを回答したが、参加人が新賃金体系案の白紙撤回を求めたため、同年四月一日から非組合員に対してのみ新賃金体系に基づく新賃金規定を適用し、組合員に対してはこれを実施しなかった。
原告は昭和六一年春闘の賃上げについても、前年同様新賃金規定に基づき組合に回答したため妥結に至らず、「賃金体系問題については労使双方が引き続き交渉する」旨の覚書を作成した。
(五) 原告は、昭和六一年七月以降、交渉人員等に関する団交ルールを議題とする予備交渉を組合に申し入れ数回交渉がもたれたが、物別れに終わったため、同年九月一八日被告に対し団交ルールの設定をあっせん事項とするあっせんを申請したところ、被告は一〇月一八日「労使双方は賃金体系及び団交ルールの設定などに関する団交の予備折衝を行うものとする」というあっせん案を文書で提示しあわせて傍聴人は入れないこと、組合の交渉人員は七、八名とすることを口頭で提示し、労使双方はこのあっせん案を受け入れた。
(六) そこで原告と組合は、右あっせんに基づき同年一〇月三一日団交ルールに関する予備折衝を行ったが、前記口頭提示事項につき、原告は団交ルールであると主張し、組合は予備折衝のルールであるとして双方譲らず、物別れに終った。
しかし組合は同年一〇月三一日付け、一一月一四日付け、同月二五日付け、一二月一日付け、同月五日付けの、年末一時金に関する団交の申し入れをし、右申し入れのうち一二月五日付けの申し入れでは交渉の傍聴人については原告の意向を踏まえて考慮する旨を口頭で伝えたが、原告は団交ルールのない不正常な交渉は行わないとして拒否した。
そこで組合はやむなく同年一二月一七日、年末一時金について会社回答額で妥結することを通告し、翌一八日年末一時金について原告との間で協定書を作成した。
(七) 原告は、昭和六二年一月八日交渉人員を組合側七名、原告側四名以内とし、傍聴人を入れない等を内容とする団交ルールについての協定案を組合に示したが、組合は右協定案は組合の団体交渉権を著しく制約する不当なものである、団交ルールを含めた労使間の協議事項があるので団交に応じるよう原告に要請した。
(八) また組合は、同年二月二日付け、同月六日付け、同月九日付け、同月一八日付け、同年三月一二日付けで前記(四)の賃金体系に関する覚書に基づく賃金体系に関し団交を原告に申し入れたが、原告は重ねて団交ルールのない不正常な団体交渉は行わないと回答した。
(九) 組合は、同年三月二六日に原告の春闘回答があったため、更に同年三月二七日付け、四月一日付け、同月七日付け、同月一〇日付け、同月一六日付けで賃金体系、春闘要求などに関して原告に団交を申し入れそのうち右三月二七日付け、四月七日付け及び同月一〇日付けのものは傍聴人を参加させない形での申し入れであったが、原告は団交ルールの締結されていない不正常な団交は行わないとして拒否した。
(一〇) そこで組合は、同年四月一七日団交ルールの設定されていないことを理由として団交に応じないのは、不当労働行為であるとして被告に救済命令の申立てをした(京労委六二年(不)第四号事件、この事件は結局昭和六二年一一月五日、組合の主張が認められ、団交ルールの設定されていないことを理由としては団交を拒否してはならない旨の救済命令が発令された。)。
2 昭和六二年四月一三日及び同月二三日の争議の状況
(一) このような中での同年四月一三日午前八時三〇分頃、京都本社の通用門口付近で望月充郎及び牛田年彦を除く参加人組合員全員が集まり、当時組合の書記長であった木崎利夫が原告の小林次長にスト通告書を提出した。
その通告書には「四月一三日午前九時より午前九時一五分まで時限ストに入ることを通告する。参加者名は確認後通知する。」旨が記載されていた。
このストの目的は、組合が前記のとおり春闘回答に関し原告に対し団交の申し入れをしたが、すべて拒否されたため、これに抗議し早急に団交を開催するよう求めて行われたものである。
スト終了後、原告の職制は当日出張予定の足立圭司、中井保彦、浜田満男及び羽田充弘の就労を拒否する旨の文書を各人に手渡そうとしたが、四名は就労拒否は不当であるとして受け取らなかった。
足立は営業車に乗って出発しようとしたが、エンジンキーを久保田課長から取り上げられたため、出張することができず、午前九時三〇分頃から午後五時頃まで社内業務に従事した。
中井はスト終了後直ちに予定通りの出張業務に出発した。その日は兵庫県の夢前町にある松田書店に行き、同書店の者と同行して小学校を回って国語辞典と漢字辞典の販売促進にあたることになっていたが、予定どおり訪問件数をこなした。
浜田はスト終了後午前九時三〇分頃営業車で会社を出発し、当日に予定していた業務のうち和歌山市及び海南市の高校における販売促進については、当初の予定より若干後れたが、一校を除いて予定業務を終了した。
羽田は奈良市内の書店五店を回ることになっていたので、スト終了後直ちに本社を出発し、近鉄電車で奈良へ行きその日予定した五店のうち一店を除いて予定どおり業務を遂行した。
しかし原告は右中井、浜田、羽田及び足立につきスト終了後の就業を会社業務の遂行とは認めず、その分の賃金や出張手当を支給しなかった。
(二) 参加人は、同年四月二〇日七名の交渉員名を通知し、前記1(九)記載の団交事項に関し団交を申し入れ、原告はこれを受入れ同月二二日右事項に関する団交が行われた。しかし、この時原告は会社策定にかかる新賃金規定に基づく賃金を、参加人の反対にもかかわらず、同月二四日支給の四月分から組合員にも実施する旨参加人に通知した。
(三) そこで参加人はこれに抗議するため、その翌日である同月二三日始業時の午前九時から同一五分まで時限ストを行った。木崎は宇高取締役と石橋営業部長が社長室から出てきたので、同営業部長にスト通告書を手渡すと、宇高取締役はスト参加者全員に同日の就業を拒否する旨通告した。
なお中井、吉田及び城本の三名は引き続き午前一一時まで指名ストを実施した(以下、四月一三日と二三日のストを、あわせて「本件スト」という。)。
右同日午前九時三〇分から午後五時まで研修会が京都本社五階大会議室で行われた。この研修会は、英語教科書の採用獲得のための販売促進等を狙いとするもので、原告にとって重要な会議であり、営業部員だけではなく、編集部、出版部を含め二七名の出席が予定されていた。
同日午前一〇時過ぎ頃、原告が研修会を開催しようとしたところ、組合員のうち浜田と羽田が「参加に来ました」と言って会議室に入ろうとしてドアを半開きにした。これに対し遠藤編集部長がドアのノブを手で押さえて制止しようとしたが、結局組合員らの力に負け、右浜田、羽田のほか足立、野村及び尾関成章の五名が入室した。この時遠藤編集部長はドアの角が右前腕部にあたり五日間の怪我をした。
原告は右ストに参加した別表記載の組合員全員につき、同表記載のとおり、スト終了後の就労を会社の業務の遂行とは認めず、スト終了後の賃金、交通費、会議費の支給をしなかった(原告の本件スト参加者に対する賃金等の不支給を以下「賃金カット」という。)。
また原告は、昭和六二年五月二五日、原告の就業規則二九条一一項、三〇条四項に基づき、浜田、羽田、足立、野村及び尾関に対し、「同人らが、昭和六二年四月二三日、原告から就労拒否通告を受けたにもかかわらず教科書販売促進研修会会場に乱入し、これを制止した管理職との間で約一五分間にわたり揉み合ったり、大声で口論したりして研修会の運営を妨害した」として、けん責公示処分(以下、「本件処分」という。)にした。
3 結論
以上の事実からすると、本件賃金カット及び本件処分は、いずれも、原告が長年の懸案であった新賃金体系と傍聴人の入室を拒否し組合側の交渉員の人数制限を狙いとする団交ルールの実現を図るため、その導入に反対する参加人が原告の団交拒否という事態を打開すべく行った争議行為に対する報復をし、参加人の団結を動揺させようとしたものであるから、参加人組合員に対する不利益取扱いとして労働組合法七条一号に、参加人に対する支配介入として同条三号に該当する不当労働行為といわなければならない。
三 抗弁に対する認否及び原告の主張
(認否)
1 抗弁1の事実は認める。
2 抗弁2(一)の事実のうち組合の本件ストの目的は否認する。足立ら四名のスト就労後の行動は不知。その余の事実は認める。
3 同2(二)の事実は認める。
4 同2(三)の事実のうち組合のストの目的は否認するが、その余の事実は認める。
5 同3の主張は争う。被告がその主張の事実関係のみを根拠とし、本件賃金カットや本件処分が不当労働行為に該当するとしたことは、事実関係を表面的にしか評価しない不当なものであって到底承服できない。被告の判断は、後記のとおり、正常な団交を長年妨げていたのは原告の方ではなく新賃金規定の協議を避けるため様々な理由付けで原告の団交申入れを拒否し続けた参加人の方であるとの事実、参加人の様々の争議行為が原告の業務遂行や職場秩序を著しく害していた事実、参加人の争議行為(殊に非常に短時間の時限スト)がストに名を借りた職場離脱に過ぎないこと等の点において、実質的な観察を欠く不当なものというべきである。本件賃金カットは、時限ストに参加した参加人組合員らが「債務の本旨に従った労務の提供」をしなかったため所定の賃金等を支払わなかったというだけのことで何らの不利益取扱ではないし、本件処分は、原告の正当な懲戒権の行使に過ぎないのであって、いずれも不当労働行為ではないのである。
(原告の主張)
1 新賃金体系に関する団交の推移
(一) 原告は、昭和五四年、年令給を主体とした従前の給与体系を能力給を主体としたものに変更するため、社内に「新賃金体系検討委員会」を設け、昭和五六年には新しい新賃金体系案を作成した。しかし、参加人は、当初から一貫して右新賃金体系の導入に絶対反対の立場を取り続け、新賃金体系案の白紙撤回を要求し続けていたため、新賃金体系案の内容についてさえ協議ができていない状態が続いた。そこで、原告は、昭和六〇年四月一日、就業規則中に新賃金体系案を盛り込んだ賃金規定を導入し、組合員以外の従業員についてこれを実施した。
昭和六〇年及び六一年の春闘の時期の団交においても新賃金体系の導入を巡って妥協点が見い出せず、組合員の賃上げが二年間実現しない状態が続いていたが、原告と組合は、昭和六一年五月二〇日に至って、暫定的な賃上げ合意をするとともに、前記のとおり「新賃金体系問題については、労使双方が引き続き交渉する」旨の覚書を取り交わした。
(二) さて、参加人が要求する団交は、従前から常に一〇名以上の交渉員を出席させる大衆公開団交であったが、原告が新賃金体系の実施を図ろうとした昭和六〇年には、二〇名前後の多人数による大衆団交となり、しかも、出版業界以外の者が組合側交渉員として参加するようになり団交の進行が妨げられることもあった。このような大衆団交方式や抗議の吊しあげなどによって原告側交渉員が神経症の病気を患い入院するような事態であった。そこで、原告は、正常なルールの協定化が必要不可欠であると考え、昭和六一年九月一八日、被告に対し、団交ルール設定のあっせんを申し立てた。
2 団交ルールの設定について
(一) 原告は被告主張のとおり、昭和五七年一二月及び同六一年九月の二回にわたり被告に団交の正常化を求めるあっせんを申し立て、この結果、被告は、同年一〇月に、あっせん案として、「労使双方が賃金体系問題及び団交ルールの設定等に関する団交の予備折衝を行うものとする。」、口頭確認事項として、<1>傍聴人は入れないこと、<2>交渉員は七名とすることの提示がなされ、労使双方がこれを受諾した。
右予備折衝と口頭確認事項との関係については、口頭確認事項<1>、<2>を団交ルールの内容とすべく予備折衝を行うという趣旨であった。
ところが、参加人は右<1>、<2>の項目は団交ルールではなく、団交ルールを討議するための予備折衝の条件に過ぎないなどと不当な主張を始めるようになった。このため、原告と参加人とは、団交ルールの設定すらできず、実のある団交が行われることがないまま本件ストへと推移してしまった。
3 債務の本旨に従わない労務提供の受領拒否の正当性
(一) 争議行為の実態
(1) 昭和五六年ころまでは参加人のストも一時間または三〇分という単位で行われてきた(以下、一時間以内のストを「ミニ・スト」という。)のであるが、同五七年四月に始業時の九時から九時一五分までの一五分間のスト(以下一五分以内のストを「超ミニ・スト」という。)が出現し、同五八年には一〇分間の超ミニ・ストが二回にわたり行われたほか一五分間の超ミニ・ストも四回行われ、超ミニ・スト戦術が頻繁化するようになった。
(2) 昭和六〇年三月二九日から七月一日までの間は、時限スト延べ一七回、指名スト延べ一一回、九月一一日から一一月二八日までの間は、時限スト三回、指名スト一二回を行い、年間のスト時間は延べ五七八時間六分、スト参加人数は延べ三二七名に及んだ。その中には一〇分あるいは一四分という超ミニ・ストも実施された。
残業・休日出勤拒否闘争は、四月八日から一〇月一日まで及び一一月二〇日から一二月一七日まで行われ、ほぼ同じ時期に、営業出張者の九時一七時闘争(出張先の現地で午前九時から午後五時まで営業業務を行うものとするという会社の方針に対し、会社を午前九時出発、午後五時に帰社する組合の争議行為)を行った。
(3) 昭和六一年三月二八日から四月二五日までの間、時限スト五回、指名スト三回を行い、時限ストは一五分の超ミニ・スト三回、三〇分のミニ・スト二回であり、一一月一三日から一二月八日までの間、時限スト四回、指名スト三回を行い、時限ストのうち二回が一五分間の超ミニ・ストであり、年間スト時間は延べ一〇四時間、参加人数は延べ一一四名に及んだ。
(4) このようなストは、次に述べるとおり、ストと称しさえすれば全ては免責されるがごとき誤った発想に基づいたものでその実質は単なる職場離脱・職務放棄に他ならない上に、最小の賃金カットで最大の打撃を原告に与えようという戦術に結びついている。すなわち
ア 始業時、終業時あるいは昼休み時間にかけての短時間ストが多く、しかも勤務時間を細切れにすることも再三であり、実質は始業時刻、終業時刻、昼休み時間を参加人の都合で恣意的に変更しているものである。
イ ストの対象者として指名された個々人によって、当日のスト時間帯はまちまちであったり、同じ時刻に職場離脱を行っている者が、ある者は指名ストで他のある者は組合用務のための外出であるというように、相互の脈絡が全く理解できないものである。
ウ ストの目的が示されず、いかなる要求を掲げてのストであるのか不明である。特に、朝の始業時間前に行われた組合集会が、午前九時の始業時刻に食い込んでしまったことから、事後的にその時間(九時三分までの三分間)についてのみスト通告を行ってきたこともあり、単に遅刻の事後的言い訳としてストと称しているのが明らかなものさえある。
エ ストは、組合要求に対する原告の回答後第一回の団交が開かれる以前や組合要求が出された後原告が回答を行うまでに行われたりしており、また、ミニ・ストは団交の翌日の始業時に前日の団交について会社に抗議するという形をとっている。これらは原告に対する抗議申入れという組合活動や組合用務を就業時間中に行うために、ストの名を借りたものである。
オ 毎年のように組合役員等が指名ストに入っており、多くの場合は、組合要求に対する原告の回答の翌日もしくは数日以内に長時間行われたが、これは、組合の用務を遂行するために指名ストに入っていると推察される。
カ スト突入の五分ないし一〇分前にストの通告をする抜き打ち的なストが常態化している。
(二) 営業出張者のスト参加について
(1) 原告の社内においては、営業出張時の出発・帰着時間は、原則として、現地で営業活動に従事する前提で決められるという慣行があったが、昭和五七年秋頃から営業出張者の出発・帰着時間の遵守に関し、上司と組合員との間でトラブルが発生することが多くなった。そのため原告は、出発・帰着時間の遵守の徹底を図るために、従前の慣行を文書化し、これを出張時の基準(以下「出張基準」という。)とした。右文書は、これが当時の営業部長から営業部課長各位に配付され、出張基準の遵守が指示されると共に、課長から各課員に対し、日常の業務指示や指導の中でこの出張基準の周知徹底が図られ、現実に組合員についても、そのような周知徹底を受ける中で、右出張基準が原則として守られていたのである。
この基準によれば、「出張時は現地訪問先で九時から一七時まで所定の営業業務を遂行する」と定められ、この時間に合わせるために主要な出張先毎の出発・帰着時間の基準が定められた。但し、訪問先書店の開店時刻に合わせて時間をずらすこともできると定められた。
また、北陸・中国・四国・九州等には、電車等公共交通機関を利用することもあり、その場合電車の始発時間の関係から現地に午前九時に到着できない場合もあるが、それはやむをえないとの認識で運用されていた。そのため、営業車を利用して出発する場合にも、電車を利用する場合とのバランスを考えて出張時間も定められており、現地に九時に到着しない場合もあるが、これも基準としてはやむをえないものとして定められた。
(2) 九時一七時闘争よる営業出張業務の影響
営業部員の出張においては、現地の訪問先で九時から一七時まで営業活動を遂行するのが原則であり、それに合わせて出発するのが基準であるが、九時一七時闘争を組合員がとった場合、組合員は九時に本社を出発し一七時には帰着するという行動をとることから、現地での営業活動に費やされる時間は大幅に短縮される。
これに対して、原告はこれまで賃金カットを行うことなく対応してきた。
(3) 組合員は、遠距離出張中であっても、時限スト・社前集会に参加するために、出張をスト前日の中途で打ち切って翌日全日ストに入ることもあり(昭和六〇年一一月二二日)、月曜日のミニ・ストが行われる場合、始業時からストに入ることが多く、営業出張予定者も参加し、スト終了後に営業出張に出発するため、当日は現地で九時から一七時まで営業活動を行うという原則は全く履行されず、例えば、昭和六〇年五月二〇日、午前九時から一二時の時限ストのあった日は、営業出張者はその後の時間はほとんど移動だけに費やされ、予定された訪問先の大部分はこれをこなすことができなかった。
また、出張者が帰着する金曜日に時限ストを行う場合は、組合員はその時刻までに帰社してしまうので、予定された訪問先を訪問しないまま放棄されることになる。
更に、例えば昭和六〇年四月一九日には、始業時から一時間、就業時前一時間の一日二回の時限ストが打たれ、営業出張はほとんどとんぼ返りに近い常態で、営業活動をすることはできず、何ら業務が遂行されていない形となった。
(三) 参加人の争議行為による原告の損失
(1) ストの頻発による滞留業務の肩代わりや抗議行動への対応による管理職員の負担・疲労、組合の抗議行動に備えての職制の常時待機、ビラ・ステッカー等の管理職による取り外し及びこれに対する抗議等から派生する人間関係の軋轢・信頼関係の破壊、就労中の腕章着用による職場環境の悪化・秩序の混乱・来社客に与える影響等、社業の遂行に重大な悪影響を及ぼした。
(2) 営業出張業務に対する支障
ア 九時一七時闘争やミニ・ストにより営業出張者の実際の業務遂行時間は大幅に減少し、書籍の販売促進等の営業活動が十全に遂行されるはずはなく、こうした不完全な就労により原告の生産能率は著しく低下している。
イ ミニ・ストにより予定の訪問促進を割愛する得意先が多数に上り、販売促進のタイミングを失するとともに、時間と出張経費のロスとなり、効率が低下することは明らかであって、その損失は甚大である。
ウ 本件あるいは本件に至るまでのミニ・ストや九時一七時闘争の頻度からすると、書店・取次店・学校への販売促進業務を予定通り処理することは不可能であり、仮に予定数を数のうえで処理しても、一訪問先で費やされる時間は短縮されており、十分な営業活動は困難であり、全体的な販売成績の低下を来している。
エ ストのため促進予定の変更を余儀無くされ、営業面の損失に加え、変更のための時間と精神が費やされており、また、スト参加者がスト通告の時点で不明なために業務の変更、事後の処理等について管理職の精神的負担が大きい。更に、営業部にとって最も重要な四月にストが集中する。
(3) 編集出版業務に対する支障
ア 参加人は、ミニ・ストを頻発したが、それは単に時間的なロスを超えて、その前後の離席が思考を停止・中断させ、また組合役員にはミニ・スト前後に外部からの架電が多く、仕事の内容面での思考低下を招き、しかもこれらが、同席の非組合員に与える影響も多く、特に管理職への精神的な悪影響は計りしれない。
イ 指名ストや組合外出の通告が直前であるため、予定された編集会議や課会等が開催できなくなることも多く、組合員は一一月から一月にかけての編集業務上多忙な時期に残業を拒否することから、管理職、非組合員がカバーして処理せざるをえなかった。
ウ 参加人が抗議行動と称して職場に乱入する際、管理職に大声で暴言を発することから、非組合員の精神集中度を乱し、仕事を中断させざるをえなくなっている。
(四) 昭和六二年四月一三日のストの実情
参加人は、昭和六二年四月一三日、始業時の午前九時の直前になって、口頭で抜き打ち的にストの通告をした。
原告は、参加人のスト通告に対し、当日から出張予定の組合員中井、浜田、羽田、足立に対しては、後記のようにその後の就労があっても出張目的が達成されることは不可能で、その労務提供は会社にとっては無価値・無意味なものと考えざるをえなかった。また、組合の従前の一連の不当な争議行為等により原告社内の正常な就業秩序が著しく阻害され、作業能率も低下していて、このままの状態では原告の経営に支障をきたすので、原告は、こうした組合側の著しく不当な圧力を阻止し、正常な就業秩序を回復するため、やむを得ない対抗的防衛手段として、その日に限り、前記四名のスト終了後の就労を雇用契約上の「債務の本旨に従わない労務提供」と認め、その受領拒否を通告したのである。
(五) 昭和六〇年四月二三日のストの実情
(1) 組合は、東京支部において同年四月一五日、翌一六日指名ストを実施した。
参加人は、京都本社において、同月一七日一〇時三〇分から一七時まで二名の指名スト、一一時三〇分から一七時まで一名の指名ストを行うとともに、一三時から一七時まで一二名の時限ストを行い、当日二回にわたって会社前において集会を開催した。これには外部からの応援があったので、会社は混乱を未然に防ぐため管理職を待機させざるをえなかった。この社前集会では、スピーカーを利用した大音響による演説等があったため、社内で仕事に従事している非組合員や管理職の業務遂行に悪影響を与えたばかりか、管理職は四時間にわたり待機したことから、午後の予定業務に従事できなかった。
また、東京支社においては、同日、三名が一日間の指名スト、二名が指名ストを行ったうえで、本社と同じく一三時から一七時までの間一三名が時限ストを、同月二一日、翌二二日の二日間連続して一名の指名ストを実施した。
(2) 参加人は、同年四月二三日、従前同様、始業時である午前九時の直前になって初めて会社に一五分の時限ストの通告をしてきた。
原告は、これまでの参加人のストその他の争議行為の実態や四月一三日の状況、更には、同月一七日に行われた時限スト等一連の争議行為によって会社の被る損害が大きく、参加人の争議行為によってかえって労使間の勢力の均衡が破れ、原告が著しく不利な圧力を受けることになっているので、このような不当な圧力を阻止し、労使間の勢力の均衡を回復するための対抗防衛手段として、その日に限りスト参加者全員の就労を拒否した。
(六) 本件スト後の労務提供の性質
(1) 本件においては、争議行為に籍口した組合員の不当な無断職場離脱や職場放棄により会社の正常な就業秩序が破棄され、一方的かつ恣意的に一日の勤務時間が変更せられ、しかも、ストの通告自体が直前になされ、時間や参加者の範囲など事後的に変更される可能性があることから、スト参加者がスト後に就労するかどうかも不確実となってきている中で、一五分間という超ミニ・ストが行われたのである。原告にとっては、本件スト後のスト参加者の就労申出は、雇用契約上の債務の本旨に従った正常な労務の提供であると解することができない(しかも、前述のとおり四月一三日のスト後の営業出張予定者の就労は、いずれも原告にとって無意味・無価値と解された。)。
(2) また、長年にわたる組合の不当な争議行為をこのまま放置しておけば、原告が曝されてきた不当な圧力・著しい不利益が漸次累積して企業運営自体を危うくすることになったため、原告は、やむを得ない必要最小限度の防衛手段として、対抗行為的に、本件ストに参加した組合員のスト後の労務の提供の受領を拒否せざるをえなかった。
4 教科書販売促進研修会の妨害による本件処分の正当性
(一) 原告は、昭和六二年四月二三日、午前九時三〇分から午後五時まで、五月から訪問販売促進予定の英語教科書の採用獲得のための研修会を大会議室で開催することを予定していた。この研修会には、営業部員だけでなく、編集部、出版部等からの応援者を含め、二七名の出席を予定し、東京あるいは九州からも当日のスケジュールに合わせて出張参加が予定されていた。この研修会では、教科書に限らず、関連商品も含めた採用の促進を検討するもので、毎年この時期に行われる原告にとって重要な会議であった。
(二) 原告は、研修会当日の本件スト参加者全員の就労拒否を行ったが、参加人組合員らが就労拒否通告を無視して社内に入り込むことを予想して右研修会の開始予定を三〇分遅らせ、午前一〇時とした。
(三) 原告が同日午前一〇時過ぎに研修会を開催しようとしたところ、就労を拒否されていた野村、浜田、尾関、羽田及び足立の営業部員五名が、会場に乱入しようとしてきたので、遠藤編集部長が入口ドアを手で押さえて「入るな。」とこれを制止し、体を押しつけて参加人組合員らの入室を阻止しようとしたが、同人らの力に負けてドアを押し開けられ、右五名は会議室に乱入した。なおその際遠藤編集部長は、ドアの角を右前腕部に当て、五日間の加療を要する右前腕打撲の傷害を受けた。その後石橋営業部長や久保田課長が、乱入した右五名に対し退去するよう求めたが、右五名はこれを無視して抗議を続け、研修会は約一五分にわたり妨害され、結局研修会の開始は当初の予定より一時間遅らせられたのである。
(四) 原告は、浜田、羽田、足立、野村及び尾関が、右のように研修会会場への入室を制止されたにもかかわらず強引に実力をもって入室し、制止した管理職との間で約一五分間にわたり揉み合ったり、大声で口論したりして研修会の運営を妨害した行為は、就業規則二九条一一号の「職場秩序をびん乱したとき」及び三〇条四号の「会社の施設、資材、製品又は文書等の破壊、窃取、破棄、隠匿等の行為により業務の運営を阻害したとき」に該当すると認め、懲戒委員会を開催し慎重に審議した結果、昭和六二年五月二五日、同規則三一条一号二号により、右五名全員をけん責公示処分に処した。
(五) 被告は、右研修会の混乱が生じた原因が会社の就労拒否にあると判断しているが、前述したように原告の就労拒否は不当労働行為を構成せず正当である。
四 参加人の主張
1 原告の団交拒否について
参加人は対等な労使交渉のための条件整備、資料の明確化などを通じて労使の信頼関係の形成を図りながら、賃金体系問題の協議に臨もうとしていたのであり、団交ルールに関しても、傍聴人がいるために団交が混乱したり、交渉不能になったことはなかった。
にもかかわらず原告は、昭和六一年五月に賃金体系問題について、労使間双方が引き続き協議する旨の覚書が交わされるに至った後に、全く必要性のない団交ルール設定問題を突然持ち出し、組合からの団交申入れを頑なに拒否していたのである。
原告は、団交を開催することができなかったのは、団交ルールに関する被告地労委のあっせん内容を履行しない組合の責任である旨主張する。
しかし、右あっせん案には「団体交渉の予備折衝」と銘記されており、原告主張の口頭確認事項は、予備折衝に関する取決めとして確認されたものであるにもかかわらず、原告は、口頭確認事項が団交ルールそのものに関する確認であると主張して、右あっせん案を悪用して、団交開催を拒否したものである。
2 原告の就労拒否の不当性
(一) 参加人の行ってきたストは、全て正規の手続きにより投票を行い、スト権を確立して、会社に通告して行っている。この争議権行使の時期について、原告から指図を受ける必要はない。
スト参加の組合員名の通告の方法は、会社も了解済の方法であり、また、営業部員で出張中の者については、スト通告と同時に会社に通告している。
ストが単なる職場離脱・職務放棄である旨の原告の主張は、単なる推論に過ぎない。また、午前九時三分までの遅刻の言い訳に過ぎないストがあった旨の主張については、参加人のストではない。
始業時、終業時の短時間のストについても、参加人は、要求実現に見合った闘争を整然と行っているのであり、また、始業・終業時間を恣意的に変更しているとの主張は、連日にわたる始業時、就業時のストが行われ、毎週に及ぶような事態でない限り妥当とは言えない。
原告は、後記のとおり参加人のストが抜き打ちストである旨非難するが、参加人と原告の間にはストの事前通告に関する協定はなく、その申入れもなかったのであり、そのような非難は失当である。
(二) 会社の主張するストによる損失はスト等の争議行為にともなって当然の帰結として生ずるものばかりである。
営業出張者の九時一七時闘争については、原告が午前九時以前の出発を強いること自体、時間外労働の強制であり、時間外手当も支払われていない現状のもとでは、何ら問題はない。通常の出張の場合、出発・帰着時間は、各人の良識的判断に委ねられ、職場での業務上の指示・命令はほとんどなかった。
なお、賃上げ交渉を三月、四月に行うのは、一般的であり、参加人が特に繁忙期を狙って争議行為を集中させているわけではない。
編集・出版部の業務に対する影響として会社が主張する事由には、具体性がなく、原告が就労拒否をして労使間の均衡を回復しなければならない程の影響は認められない。
(三) 昭和六二年四月一三日の一五分間スト終了後の営業部員の労務提供は、無意味・無価値ではない。
原告における営業出張業務には、最初の着手が遅れれば残余の業務が意味を持たなくなるような絶対的な有機的関連性ないし一体性を持つものではないのであるから、スト終了後の営業部員らの労務提供が無意味・無価値となるとは到底いえない。
(四) ロックアウトは、憲法上保障された労働組合の争議行為に対抗して労働法上使用者に許された唯一の争議行為であり、その正当性・成立要件ともに厳格に解すべきなのであるから、右要件を充たさずに争議行為への対抗手段として時限スト後の就労を拒否できるのであれば、容易にロックアウトと同じ目的を達しうることになり、ロックアウトの法理を有名無実化してしまう。
そして、参加人の争議行為によって原告が被ったという損害は争議行為に通常ともなう範囲に止まるものであること、争議行為の激化により、ロックアウトに出ざるを得ないような具体的危険性、緊急性が発生していたとは認められないこと、参加人の争議行為も一五分間の労務不提供にとどまり、かつその手段・態様・目的においても正当であることなどからすれば、ロックアウトを正当化するに足りる状況は存在しなかった。
(五) 以上により原告の就労拒否は理由がなく、また組合員らのスト終了後の就労に対し賃金カットをしたのは違法である。
3 本件処分の不当性
原告の就労拒否が不当である以上、営業部の組合員が、研修会への参加を求めるのは当然であり、また、原告が組合員の参加を実力をもって拒否したのに対し、組合員は、事態のそれ以上の紛糾を避け、短時間で自主的に退き、節度ある態度に終始したのであるから、原告の本件処分(けん責公示処分)は、不当な組合攻撃であると言わざるを得ない。
第三証拠
証拠に関する事項は、本件記録中の書証目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する(略)。
理由
第一本件労働争議に至る経過及び本件就労拒否の状況等について
一 請求原因1の事実及び抗弁事実のうち本件ストの目的を除く事実は当事者間に争いがない。そこで、本件命令の適否を判断するため、まず、原告と参加人との間の労使紛争の経過について検討する。
二 (証拠略)を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 本件ストに至る経緯
(一) 原告は、昭和五六年九月二八日、社内の賃金体系検討委員会での検討の結果、当時の京都印刷出版産業労働組合文英堂分会に対して新賃金体系の原案を提示したが、分会は、新賃金体系案は原告が一方的に作ったものであり、職能給を導入するものであったためにこれに反対し、白紙撤回を求めた。
(二) その後も原告は、参加人と新賃金体系案について団交を重ねたが、その内容についての実質的な議論はなされないまま推移し、参加人が新賃金体系案の導入に反対する姿勢を変えなかったため、昭和六〇年四月から新賃金体系案に基づく新賃金規定を非組合員に対してのみ実施した。原告は、昭和六〇年及び六一年の春闘においても、参加人に対し、新賃金体系に基づく回答をしたが、参加人がこれを受け付けなかったため、組合員については二年間賃上げが実現できない状態となった。しかしながら、原告と参加人は、同六一年五月二〇日に至って、やっと暫定的賃上げで合意し、協定書を締結するとともに、「新賃金体系問題については労使双方が引き続き交渉するものとする。」旨の覚書を作成した。
(三) ところで、原告は昭和五七年以前から新賃金体系案等に関する参加人との団交に苦慮していて、昭和五七年一二月二九日、被告に対し団交ルールの設定につきあっせんの申請をしていたが、被告から参加人と団交ルールに関しよく話し合うよう口頭勧告を受けていたところ、これを受けて原告と参加人は、昭和五九年一二月三日、<1>団交の申入れの際には、労使双方が、事前に文書で交渉員の氏名及び議題を通知する、<2>交渉人員については労使双方で配慮し、必要な場合は話し合う等を内容とする団交ルールに関する協定を締結しており、以後これに基づいて団交が行われていた。昭和六一年五月ころまでの団交には、しばしば交渉員でない組合員が傍聴人として団交に参加し組合側の団交参加者が二〇名を超えることもあったが、このことが原因となって、交渉や議事が進行困難になったり混乱するといった大きな不都合が生じたことはなかった。
ところが、原告は、昭和六一年七月に入ってから、参加人に対し、団交には傍聴人を入れないことなどを内容とする新たな団交ルールの設定を要求するようになり団交ルール設定問題を巡って組合と対立するようになった。そこで、原告は、昭和六一年九月一八日、被告地労委に対し、団交ルールの設定をあっせん事項とするあっせんを申請し、同年一〇月八日あっせんが行われ、「労使双方は賃金体系問題及び団体交渉ルールの設定などに関する団体交渉の予備折衝を行うものとする」というあっせん案が文書で提示され、併せて口頭で傍聴人は入れないこと、交渉人員は七、八名とすること(以下「口頭提示事項」という。)が示され、労使双方は、このあっせん案を受諾した。ところが、参加人と原告とは、あっせん案受諾後の同月三一日に行われた団交ルールに関する予備交渉では、右あっせんにおける口頭提示事項が予備交渉のルールとして示されたものである(組合側はそのように理解していた)のか、それとも労使間で協定すべき団交ルールとして示されたものである(原告はそのように理解していた)のかその解釈を巡って対立し、団交ルールについての合意が成立しないまま交渉は打ち切られた。
(四) その後も、団交のルールについて合意ができないまま、参加人は昭和六一年々末の一時金等について団交を求めたが原告が団交ルールのない不正常な交渉は行わないとして団交を拒否したため、とりあえず原告回答額で年末一時金支給の協定を結んだ。
その後も原告が、組合からの度々の団交申入れに対し「団交ルールのない不正常な交渉には応じない」という立場を崩さなかったため、参加人は、原告のこのような態度を非難して、しばしば抗議行動、時限スト、指名ストを繰り返すようになった。これに対し原告は、団交拒否回答をした直後から行われる参加人のストが「真意を図り兼ねるものである」と論難したり、スト参加者を事前に通告する旨の要求をするようになり、原告と参加人の対立は平行線をたどったまま、昭和六一年七月以後一度も原告と参加人との団交が行われない異常な状態が続いた。昭和六二年の春闘に際しても同様の状態であったため、参加人は、同年三月二七日付け、四月七日付け及び同月一〇日付けの文書により、傍聴人を参加人させないという点で譲歩したうえで原告に対し団交の申入れをした。このような状況下において、同年四月一三日の本件ストが行われたが、原告は、同日付けにて、やはり団交ルールのない交渉は拒否する旨回答した。
2 昭和六二年四月一三日の一五分間時限ストの状況
(一) 当時書記長であった木崎は、同日午前九時五分前ころ、原告会社の小林次長に対し「組合員らが同日午前九時より午前九時一五分まで時限ストに入ることを通告する。参加者名は確認後通告する。」旨のスト通告書を提出した。
このストの目的は、原告が三月二六日に春闘の回答をした後「団交ルールが設定されていない団交には応じられない」等の理由で組合側からの団交申入れをすべて拒否したため、これに抗議し早急に団交を開催するよう求めて行われたものであった。
(二) 小林次長は、右スト終了後組合宛の就労拒否通告書を中井に手渡し、また、当時の石橋営業部長は羽田の、久保田課長は中井、浜田及び足立各人宛の就労拒否通告書をそれぞれ読み上げ、同人らに手渡そうとしたが右四名とも就労拒否は不当である旨述べ、それを受け取らなかった。
(三) 就労拒否された四名の行動等
(1) 浜田について
当日浜田は、原告が定めた後記の出張基準に沿う出張予定を立てており、これによれば自宅を営業車で午前七時に出発し、和歌山市・海南市の四つの高校を訪問し、販売促進を実行した上で、和歌山市の宮井平安堂を訪問する予定であった。しかし、浜田は実際には、本件スト終了後午前九時三〇分ころ本社を出発し、当初の予定訪問時刻よりも若干遅れながらも、一校の訪問を除いて予定業務を遂行した。
(2) 中井について
当日中井は、原告が定めた出張基準によれば、午前七時三〇分に営業車で本社を出発し、兵庫県夢前町の松田書店を訪問した上で、直ちに学校を巡回して、国語及び漢字各辞典の宣伝活動をする予定であったが、本件スト終了後本社を出発し、松田書店への到着が遅れる旨連絡したうえでその後予定通りの訪問件数を遂行した。
(3) 羽田について
当日羽田は、原告の定めた出張基準によれば、午前一〇時開店の書店へ訪問するため午前八時三〇分に本社を出発し、奈良県下の五つの書店を回って販売を促進する業務につく予定であり、本件スト終了後奈良に向けて出発し、一店を除き予定どおり、販売促進の業務を遂行した。
(4) 足立について
当日足立は、原告の定めた出張基準によれば、午前八時に本社を出発し、福井市や小松市方面に出張して現地の教科書販売会社、書店への訪問促進をする予定であったが、本件スト終了後営業車で出発しようとしたところ、久保田課長から営業車のキーを取り上げられたため、出張を断念して社内業務に就いた。
3 昭和六二年四月二三日の一五分間時限ストの状況
(一) 参加人は、同月一七日、被告地労委に対し、原告の団交拒否を不当労働行為として救済を申し立て(京労委昭和六二年不第四号事件)るとともに、同月二〇日付けで団交を申入れた。ところが、実に約一〇か月ぶりに行われた四月二二日の団交において、原告は、原告主張の団交ルールに従わなければ団交を行わないことを通告し、また四月以降新賃金体系のとおりに賃金の支給をするためこの団交の場を設けたという趣旨の一方的な宣言をした。
なお、右事件については、昭和六二年一一月五日、原告は新たな団交ルールが設定されていないことのみを理由として組合が申し入れた団交を拒否してはならない旨の救済命令が発令されている。
(二) 参加人は、右四月二二日の団交が、原告の一方的な通告だけに終わったことに対し抗議する目的で、四月二三日、午前九時直前に木崎が石橋営業部長にスト通告書を手渡したうえで始業時の午前九時から同一五分まで、休暇中の一名を除く参加人組合員の全員が参加して時限ストを行った。また、このうち中井、吉田及び城本は、右時限スト後、前日(四月二二日)の団交の経過を被告地労委に報告する目的で、さらに引き続き午前一一時まで指名ストを行った。原告の宇高取締役は、スト開始時、スト参加者全員について同日の就労を拒否することを告げ、更に、スト終了後、木崎に組合宛の就労拒否通告書を手渡した。
(三) 右スト終了後、中井、吉田及び城本を除くスト参加者は、それぞれ当日予定されていた研修会に参加するため大会議室に向かったが、後記のとおり研修会への参加を阻止されたため、各自終業時刻まで出張の事後処理や資料作成に従事し、指名ストを終了した中井及び城本も就労を拒否されたため同様の業務に従事したが、吉田のみは午後四時ころ予定されていた出張に出発した。
4 けん責公示処分等
(一) 前記時限ストが行われた四月二三日当日午前九時三〇分から午後五時まで大会議室で開催が予定されていた前記研修会は、五月から予定されている訪問販売の促進と関連商品も含めた採用の促進を検討するもので、毎年この時期に行われる重要な会議であり、営業部員だけでなく、編集部、出版部等からの応援者を含め、二七名の出席が予定されていた。
原告は、参加人の同日の時限ストに対し、前述のとおりスト参加者全員の就労拒否を行ったが、同人らが就労拒否通告を無視して社内に入り込むことを予想して右研修会の開始を予定より遅らせ午前一〇時とした。
原告が午前一〇時過ぎに研修会を開催しようとしたところ、浜田及び羽田が会議室に入ろうとしてドアを半開きにしたのに対し、遠藤編集部長がドアのノブを手で押さえて制止し、組合員らの入室を阻止しようとしたが、同人らにドアを押し開けられ、浜田及び羽田のほか足立、野村及び尾関の五名は会議室に入室した。なお、その際遠藤編集部長は、ドアの角が右前腕部に当たり、五日間の加療を要する右前腕打撲の傷害を受けた。その後就労拒否を理由に退室を求める石橋営業部長と会議への出席を要求する右五名との間で押し問答が一五分ほど続いた末に、右五名は、自主的に会議室から離れ、営業部の各自の席に戻った。
(二) 原告は、浜田、羽田、足立、野村及び尾関が右のように就労拒否通告を受けたにもかかわらず研修会に乱入し、これを制止した管理職との間で約一五分間にわたり揉み合ったり、大声で口論したりして研修会の運営を妨害した行為が、終業規則二九条一一号及び同三〇条四号に該当するとして、同年五月二五日、右五名をけん責公示処分という就業規則上の制裁処分に付した。
なお、このようなけん責公示処分例は、京都本社ではかなり以前に存したのみであり、ほとんど例がない。
(三) 原告の社員就業規則のうち、制裁に関する部分は左記のとおりである。
記
第二九条(制裁の基準)
社員が次の各号の一に該当するときは審査の上、けん責公示、減給、出勤停止の制裁を行う。
情状特に悪質なもの又は会社の統制上存在を許されないときは制裁解雇とする。
(中略)
一一 職場秩序をびん乱したとき
第三〇条(制裁解雇)
社員が次の各号の一に該当するときは制裁解雇する。
(中略)
四 会社の施設、資材、製品又は文書等の破壊、窃取、破棄、隠匿等の行為により業務の運営を妨害したとき。
(中略)
第三一条(制裁の方法)
制裁はその内容により次の五種に分け、情状によりそのいくつかを併せ行う。
一 けん責(社長が将来を戒める)
二 公示(反省書を社長に提出せしめ且つ制裁処分を全事業場に掲示する)
(中略)
5 営業出張時の出発・帰着時間の基準等
(一) 原告の社内においては、営業出張時の出発・帰着時間には慣行上の基準があり、従前は原則として、現地で就業時間である九時から一七時まで営業活動に従事するという運用が行われてきたが、昭和五七年秋頃から右基準の遵守に関し、上司と組合員との間でトラブルが発生することが多くなった。このため原告は、出発・帰着時間の遵守の徹底を図るために、慣行上の基準を文書化しこれを営業部課長各位に配付し、課長から各課員に対し日常の業務指示や指導をする方法でこの基準の周知化を図った。
この出張基準によれば、出張時は現地訪問先で九時から一七時まで所定の営業業務を遂行することとし、この時間に合わせるために主要な出張先毎に出発・帰着時間の基準が定められたが、訪問先書店の開店時刻に合わせて時間をずらすこともできる旨も定められた。
また、遠方への出張に際し、電車等公共交通機関を利用する場合、始発時間の関係から現地に午前九時に到着できない場合もあるが、それはやむをえないとの認識で運用されていた。そのため、営業車を利用する場合にも、電車を利用する場合とのバランスを考慮して出張時間も定められており、現地に九時に到着することが不可能な場合も多かった。
なお、右出張の移動時間については、時間外手当は支給されず、午前七時前に出発した場合の朝食費と宿泊付きないし遠距離出張の出張手当・二四〇〇円、近距離出張の出張手当・一二〇〇円が支給されていた。
(二) これに対し、参加人は、出張の場合の移動時間も所定労働時間に含まれるとの立場をとり出張基準を承認していなかったため、基準に従わない者もいたが、その者も自主的に適宜午前九時前(多くは午前八時前後)に出張先へ出発していた。原告は出張基準を守らない者に対して処分や賃金カットをしたことはなかった。
6 本社における参加人の主な争議行為等の状況
(一) 超ミニ・スト
昭和五七年頃からは、ミニ・ストの中でも、始業時から一五分間、一〇分間という超ミニ・ストが行われ、超ミニ・スト戦術が頻繁化するようになった。
(二) 昭和六〇年の主な争議行為の状況
スト参加人数は延べ三二七名、スト時間は延べ五七八時間六分、時限ストは二〇回、指名ストは二三回に及び、時限ストの中には一〇分あるいは一四分という超ミニ・ストも実施された。
右一四分のミニ・ストは一〇分間の予定を延長したものである。
残業・休日出勤拒否闘争は、四月八日から一〇月一日まで及び一一月二〇日から一二月一七日まで行われ、ほぼ同じ時期に、営業出張者の九時一七時闘争(出張先の現地で午前九時から午後五時まで営業業務を行うものとするという会社の方針に対し、会社を午前九時出発、午後五時に帰社する組合の争議行為)を行った。
(三) 昭和六一年の主な争議行為の状況
スト参加人数は延べ一一四名、スト時間は延べ一〇四時間五〇分、時限ストは九回、指名ストは六回であり、時限ストのうちミニ・ストは二回、超ミニ・ストは六回行われた。
残業拒否及び営業出張者の九時一七時闘争も行われた。
(四) 本件各スト直前の争議行為の状況(( )内はスト参加人数)
昭和六二年三月二七日に四時間の指名スト(一名)、同月三〇日に一五分間のミニ・スト(一四名)、四月二日、翌三日に七時間の指名スト(各一名)、同月六日に一五分間のミニ・スト(一五名)、同月九日に七時間の指名スト(一名)、同月一〇日に七時間の指名スト(一名)、一五分間のミニ・スト(一五名)がそれぞれ実施された。
同月一七日に一〇時三〇分から一七時までの指名スト(二名)、一一時三〇分から一七時までの指名スト(一名)及び一三時から一七時までの時限スト(一二名)を実施した。
なお、東京支社においても、三月一八日から土日以外毎日のようにストを実施していた。
第二本件スト終了後の就労拒否と本件賃金カットの違法性について
一 本件ストの正当性について
労働者の所定労働時間の一部についての不就労が労働組合の正当な争議行為(時限スト)の一環として行われた場合には、雇用契約上の義務違反とならないことは、憲法二八条、労働組合法八条に照らして明らかであるから、使用者が、時限スト終了後の就労の申出を拒否して以後の賃金の支払いを拒むためには、スト終了後に提供された労務が、その前に予定されていて労働者が果たさなかった労務と有機的に関連するため、無意味・無価値になるなど特別の事情が認められるか、あるいは組合の従前からの一連の不当な争議行為により正常な企業秩序が著しく阻害され、このままでは使用者の経営に破綻をきたす恐れが濃厚であるので、組合の不当な圧力を阻止し、正常な就業秩序を回復する手段として有効であることが必要であると解するのが相当である。
そこで、まず、本件ストの正当性について検討するに、本件ストは、前記のとおり、原告と参加人との間には新賃金体系導入を巡って長年の根本的な対立があり、さらにはこの対立に新団交ルール設定問題の確執が加わり、原告が団交ルールのない交渉は拒否するという態度を取り続けたため長期間団交が行われない状況下において、原告の態度に抗議し団交開催のために圧力を加える目的で行われたものである。しかも、その態様も短時間に限っての労務不提供というものであるから、本件ストは、その目的及び態様において正当なものというべきである。
原告は、本件ストが抜打ち的に行われたことを非難するようであるが、原告と参加人の間には、ストの事前通告に関する協定はなかったのであるから、参加人が、原告に対し事前にストの日時及び参加組合員を通告しなかったことが違法であるということはできない。
また、原告は、参加人がミニ・ストを長期間にわたって頻発させており、本件ストは争議行為に名を借りた単なる職場離脱に過ぎないのであって、正当な争議行為とはいえないと主張し、組合要求に対する原告の回答を待たずに行われる争議行為は正当な目的を持たないと非難するようである。
確かに、本件においては、参加人は様々の時期に頻繁に指名ストやミニ・ストを繰り返しており、特に本件ストのように始業時間から始まるミニ・ストは、表面的には、そのスト時間だけ始業時間を遅らせるような現象を惹き起こしているということもできる。しかしながら、そもそも、いつ、どれだけ、どのような態様の争議行為を行うかという選択は労働組合の判断に委ねられるのであって、短時間の時限ストが法的に許されないものではない以上、本件のようなミニ・ストが直ちにストに名を借りた単なる職場離脱であるということはできない。ことに本件の場合、前記のとおり参加人の一連の争議行為は、新賃金体系導入問題や新団交ルール設定問題を巡って労使間の交渉が長期間行き詰まっていた状況下において行われたものというべきであり、行き詰まった交渉の一場面において、参加人が、原告に抗議したり圧力をかける目的で、組合要求に対する原告の回答を待たずに時限スト等の争議行為を行ったとしても、それは通常の組合活動の戦術に過ぎず、そのことを違法であるということはできない。要するに、参加人の一連の争議行為やその一環として行われた本件ストが濫用的な争議行為であるということはできず、この点に関する原告の主張は理由がない。
二 本件スト後の労務提供について
1 前記第一に認定の事実に照らせば、本件スト参加者は、営業出張予定者を含め、スト終了後通常の勤務に就く態勢にあり、原告のスト後の就労拒否を不当として実際に就労していたのであり、その就労の態様も組合活動や争議行為を伴うなど不正常なものではなかったというべきである。原告は、スト参加者がスト終了後に就労するか否か不確実であったなどと主張し、スト終了後の労務提供が雇用契約上の義務に違反した不完全なものであったと主張するが、そのような事実を認めるに足りる証拠はない。原告が行った本件スト参加者に対する就労拒否には前記第二の一で述べたような正当な理由がなく、本件賃金カットは違法である。
2(一) 原告は、スト当日の営業出張予定者に関して、本来ならば、所定始業時間前から現地への移動が行われ始業時間の午前九時には現地で営業活動が開始されるべきであるのに、午前九時から始まった本件ストによって、時限ストの時間だけ現地到着が遅れるという以上に大幅に当日の営業活動の開始が遅れてしまい、このような大幅な遅れを伴う営業活動は、雇用契約上予定された当日の業務とは全くかけ離れた無意味・無価値なものであると主張している。そこで、この主張の当否について検討する。
(二) 本件においては、原告社内での事務処理業務や社外での営業出張業務が、一日の予定の最初の一定時期に遂行されなければ以後の業務遂行が全く無意味なものとなってしまうというような強度の有機的関連性や時間的拘束性を有する特殊性を有するとの特段の事情は何ら認められない。また、本件スト参加者のスト後の業務遂行は、当初から予定されていたものを完全には果たすことができなくなり、原告の業務を阻害することになったとしても、それは争議行為が合法的に目指した当然の結果であるというだけであって(使用者の業務の正常な運営を阻害するのが争議の目的である。)、原告がスト終了後の労務提供を受領するのに何ら支障があるとは認められないのである。したがって、この点に関する原告の主張を採用して、本件賃金カットを正当視することはできない。
(三) なお、スト当日の営業出張予定者の業務がスト時間以上の極めて甚大な影響を受ける旨の原告の主張は、昭和六二年四月一三日の営業出張予定者であった中井、浜田及び羽田の前認定のとおりのスト後の行動に照らして、客観的事実に反すると思料されるから、その点で既に失当である。しかし、原告の右主張は、営業出張予定者が雇用契約上の義務として始業時間(午前九時)までに出張先に到着しなければならないことを当然の前提としているので、そのような前提についても、便宜上ここで検討を加える。
さて、出張のため現地に赴くために要する移動時間を通勤時間と解すべきか労働時間と解すべきかについては、労働基準法上明確に規定されてはいないところであるが、労働者が始業時間までに、どこから、どれだけの時間をかけ、どのような経路で通勤するかは、本来労働者の責任において自由に定めうるものである。その意味で通勤時間は、使用者の指揮命令を受ける労働時間とは明らかに異なる。
これに対し、始業時間までに出張先に到着するための移動時間中は、業務に必要な資材・資料を運搬したり特定の方法で現場へ到着するという雇用契約上の義務が課せられているのであって、通勤時間とは明らかに異なる状態である。そうであるとすれば、使用者が、時間外手当(又はこれに見合う負担填補のための手当)の支給をしないまま、労働者に対し、始業時間までに出張先へ移動することを義務付け、労働者がこの義務を果たさないことを雇用契約上の義務違反であるとするのは大いに疑問である。
これを本件についていうと、原告は、営業出張者に対し、始業時間前の移動時間に対する時間外手当を支給せず、一二〇〇円(近距離出張)又は二四〇〇円(遠距離出張)の出張手当を支給していたに過ぎないのであるから、営業出張には始業時間前に現場へ移動する雇用契約上の義務があったというには、疑問があり、営業出張者が始業時間に会社に出勤したことを雇用契約上の義務違反であるとすることには無理がある。すなわち、営業出張予定者が始業時間から直ちに出張先で業務を開始するという営業上の利益は、労働者がこれに協力する限りで事実上得られるものに過ぎず、法的に保護されているとまでいうには疑問があるといわざるをえない。
したがって、営業出張予定者が本件スト当日原告の本社に出勤したこと自体は雇用契約上の義務違反とすることはできない。そして、営業出張予定者が適法とみられる本件スト(一五分の時限スト)に参加したことにより、同人の営業活動時間が当初予定より一五分以上(例えば二時間)短縮されてしまったとしても、このために、原告が労働者に対し法的に要求しうる労働を二時間分も喪失したと評価するのは適当ではない。原告の主張は、法的にも十分論証されたと言い難く、これを直ちに採用することはできない。
3 原告は、本件スト参加者に対して行ったスト終了後の組合員らの就労が無意味・無価値でなくても、それに対する就労拒否及び賃金カットは、長期にわたる組合の争議行為により、会社の正常な業務運営が著しく困難となっており、このまま組合の争議行為を放置しておけば、会社運営其自体に支障をきたす状態となるから、組合の争議行為の圧力を阻止し正常な就業秩序を回復するための必要最小限度の防衛的対抗手段として許されるべきである旨主張している。
そこで、この主張の当否について検討する。
争議行為とは、労働者の集団が、団交の経過の中で、その主張の貫徹を目的として、労働力を集団的に利用させないこと等の手段により、使用者の事業経営を阻害し、使用者に経済的圧力をかける行為である。そして、前記のとおり、このような行為が国法上適法とされる以上(労組法八条等)、使用者としては、争議行為から通常生じうる経済的圧力や損失を受忍するほかないのであって、これに対する積極的な物理的報復手段に出て争議行為を妨げることができないのが原則である。
もっとも、労使紛争の諸事情に照らし、争議行為によって労使間の勢力の均衡が破れる程に使用者側が著しく不利な圧力を受ける場合には、衡平の見地から、労使間の勢力の均衡を回復するための対抗手段として、例外的に使用者側の争議行為としてロックアウト(労務の受領の集団的拒否)も相当として許容される余地がある(最高裁第三小法廷昭和五〇年四月二五日判決、民集二九巻四号四八一頁参照)。
しかしながら、前記認定のとおり、本件スト当日の状況を見る限り、参加人はごく普通の時限スト及び指名ストを実行しただけであり、しかも、スト参加者もスト終了後直ちに就労を申し出ており(本件スト後の就労が無意味でないことは既に説示したとおりである。)、本件ストにより原告の当日の業務に著しい打撃が加えられたとは認められない。また、本件ストに至るまでのミニ・ストの頻発化等による原告の損害を見ても、ストとストとの間に提供される労務がほとんど無意味になるとか頻発するストのため業務再開にその都度多大の経費と時間を伴うなど、使用者にとって成果の乏しい労働力が提供されるに過ぎないのに賃金負担を免れないために、使用者の負担が受忍できない程度に加重となっているとは認められない。その他、原告主張の争議行為による損失というのは、主観的・抽象的な損失に留まる面が大きく、本件スト当時、原告がスト参加者を職場から締め出さなければならない具体的危険性や緊急性が存在していたとの事実の指摘に欠くものである。
以上要するに、参加人の一連の争議行為によって原告が受けたと見られる経済的圧力や損失はいずれも争議行為により通常生じる程度のものであり、原告がそれ以上に経済的圧力又は損失を受けていたとの特別の事情は何ら認められないのである。にもかかわらず、本件スト終了後の労務提供を無意味なものとみなしてスト参加者を職場から締め出そうとし、本件賃金カットまで行った原告の姿勢は、単なる防衛的なものという以上に攻撃的な色彩を帯びているといわなければならない。
第三不当労働行為の成立
一 以上のように、原告の本件就労拒否は何ら正当性を持たないところ、前記のとおり、労使間において新賃金体系案の検討や新団交ルール設定問題に行き詰まりがあり、その原因が少なからず新団交ルールの設定に固執する原告の態度に起因すること、本件ストの合間に実施された団交における原告の不誠実な対応などを併せ考慮すると、本件就労拒否及びこれに伴う本件賃金カットは、争議行為を行った参加人組合員らに対する報復であって、不利益取扱に当たると同時に正当な組合活動に対する支配介入であり、労働組合法第七条一号及び三号の不当労働行為に該当すると解するのが相当である。
二 本件処分の理由となった事実、すなわち、遠藤編集部長の制止にもかかわらず、浜田、羽田、足立、野村及び尾関らが強引にドアを押し開けて大会議室に入室し、その後研修会への出席を要求し、就労拒否を理由に退室を求める石橋営業部長との間で押し問答を一五分ほど続けた結果、平穏な会議の開催を妨げた行為は、「会社の施設、資材、製品又は文書等の破壊、窃取、破棄、隠匿等の行為」には該当しないが、「職場の秩序をびん乱」した面の存することは否めない。しかしながら、右のような混乱が生じたそもそもの原因は、前記認定のように原告の不当労働行為に該当する就労拒否により、参加人組合員らの入室を妨げたことにある。しかも、右浜田らはほどなく全員が任意、平穏に退去していることなどを考慮すると、原告が就業規則二九条一一項の制裁条項を適用し、殆ど先例のないような本件処分に付した行為は、右混乱を招いた原告の責任を考慮せず、その責任をすべて参加人組合員に帰するものということができ不当である。したがって、本件処分は、参加人組合員らが争議行為をしたことに対する報復又は牽制と評価するのが相当であり、これは、正当な組合活動を妨げる不利益取扱いであると同時に正当な組合活動に対する支配介入であって、労働組合法第七条一号及び三号の不当労働行為に該当すると解するのが相当である。
第四結び
以上のとおりであるから、原告が本件スト終了後から終業時刻までの参加人組合員らの就労を拒否したうえ、本件賃金カット及び本件処分を行ったことはいずれも不当労働行為であると認定したうえ、右不当労働行為に対する救済として相当とみられる右賃金カット相当分の支払いと本件処分の取消し及び文書による誓約文の掲示を命じた被告の本件命令は相当であって、本件命令の取消しを求める原告の請求は失当であるから、棄却することとし、訴訟費用(参加によって生じた費用を含む。)の負担につき行政訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九四条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 下村浩藏 裁判官 橋詰均 裁判官 金子武志)